-忍法伊賀流-
 
 
伊賀忍者を召抱えた藤堂家の屋敷跡
◎伊賀忍者とは
   中世に、東大寺が伊賀を仙地、荘園として支配するに至り、
   東大寺に反抗する悪党が出現した。そして、ゲリラ組織化
   された悪党が伊賀忍者の原型となったらしい。
   さらに加える事、伊賀は東大寺と興福寺との争いもあり、役
   小角を祖とする修験者達の修験地であり、大勢の渡来人も
   技術集団として住み着いた。
   藤堂高虎が伊賀を支配する様になると、地侍の服部家と同
   族の千賀地采女に藤堂姓と城代家老の職を与え、散らばっ
   た伊賀忍者を呼び戻し、伊賀者又は無足人として藤堂藩に
   組み入れた。
 
◎忍術の秘伝書「万川集海」
   全ての川は海に集まると言う意味で、伊賀・甲賀の
   忍術の緒流を集めたと言う意味らしい。
   「万川集海」は甲賀町唯一の甲賀流忍者の遺稿と
   して大原家に伝わる忍書である。
 
◎伊賀流(三重県)と甲賀流〈滋賀県)
   伊賀・甲賀両流とも流祖、伝系は定かではない。これは
   忍術であればむしろ当然の事か?
   しかし、甲賀流は伊賀流から分かれたとの説もある。
   伊賀流の行動は今風に言えば縦割りのライン的な行動。
   組織的に統一された行動。比較的に資料文献がある。
   一方甲賀流はプロゼクトチーム的。事ある毎に集まり、
   協議して行動。資料文献がほとんど残っていない。
 
◎「万川集海」に列挙されている11人の忍術名人
   @音羽ノ城戸(おとわのきど):鉄砲の名人で天正伊賀乱 
      がほぼ終結したおり、織田信長を鉄砲で狙ったが失敗。
   A野村ノ大炊孫太夫(おとわのおおいまごだゆう)
      :コワイロの名人との事
   B新堂ノ小太郎(しんどうのこたろう):変装の名人
   C楯岡ノ道順(たておかのどうじゅん):特に優れた忍術
      の名人。化け物の術を使い沢山上に忍び込み城に火
      を放ち落城させた事が有名。
   D下柘植ノ木猿・小猿(しもつけのきざる・こざる):木猿は 
      猿飛佐助のモデル。小猿は兄弟又は親子?犬の吼える
      声を真似て、敵の怒りを誘い、その怒鳴り声で相手の居
      場所をつきとめ討ち取った事が有名
   F上野ノ左(うえののひだり):室町時代から名が知れてい
      た。多くの書物に名前が見られる。(伊賀国忍術秘法)
   G神戸の小南(かんべのこなん):南伊賀の代表的な忍者。
      伊賀国忍術秘伝、伊賀考にのの名が見つかる。
   H高山ノ太郎四郎・太郎左衛門 :兄弟又は親子。
   J山田ノ八右衛門 :双忍の術(変装の名人)の使い手。
 
百地丹波守三太夫ゆかりのお店。
この地(滝口)の奥に生家の後あるも,屋敷は非公開
 
◎三大上忍
   @藤林長門守 :戸隠流忍術を山本勘輔助より秘伝され、
      火術、火筒、狼煙など火の忍術が得意。関連行事とし
      て、伊賀地区にて10/17に花火祭り有。
   A服部半蔵正成 :徳川家康に仕えた最も有名な伊賀忍
      者の頭領。父は16歳で伊賀を出て家康に仕え、伊賀の
      忍びを70人ほど率い活躍した。
   B百地丹波守三太夫 :石川五右衛門の師匠とされて
      いる。この名前は史実的にはみつからない。
      しかし、伊賀の滝口の白山神社の棟札には10人の太
      夫衆の名がある。
 
◎エ〜、松尾芭蕉って伊賀の忍者って知ってた?
   松尾芭蕉の生まれは柘植か上野かは定かではない。しかし父親の義左衛門は柘植の生まれである。
   松尾の姓は無足人にも伊賀者にもある。彼の母は百地家の娘。姉は伊賀者竹島三太夫に嫁いでいる。
   芭蕉が仕えた藤堂新七郎は藤堂采女と同族。芭蕉の高弟服部士芳は伊賀木津家の出なので、
   彼の周辺には忍者が多い。
   奥の細道に旅立ったのは46才で一般的には翁の年齢。この年で約2,340KMの工程を150日で移動。
   こんな事、常人で出来る?
 
資料提供、聞き取り調査先
:滋賀県甲賀町役場
:三重県伊賀上野観光協会